

1842年のアヘン戦争終決後、上海は全面的に開港され、外国文化が雪崩れ込んで来ました。最初にイギリス人がイギリス租界を造り上げた後、フランス人によるフランス租界が築き上げられ、1900年にはフランス租界で生活するフランス人は600人余り、1920年代には3500人にまで昇りました。1926年当時、フランス租界のメインストリートであったジョフレ通り(現在の淮海中路)に、馥郁たるパリの香り漂う“フランス倶楽部”が誕生したのでした。 20年代、この庭園はテニスや屋外ボーリングを楽しむ人々の為の運動場として使われました。元々倶楽部屋上には二軒のあずまやがありましたが、1949年に建物の沈下が起こり、建築重量軽減のために取り除かれました。現在庭園にあるあずまやは50年代に模造された物です。
旧建築物の歴史
1926年:フランス倶楽部建造
1920年代〜30年代:フランス倶楽部として使用される。
1940年代:アメリカ軍の所有となり、現在のロビーラウンジ・オアシスの位置に室内プールを増設。
1949年:中華人民共和国成立後、国有化され文化倶楽部と改名。庭園は運動場、室内プールは水泳チームの訓練所として使用される。
1959年:毛沢東主席が逗留。
1970年代:錦江倶楽部に改名。
1985年:オークラガーデンホテル上海、建設プロジェクト開始。旧建築物の改修を始める。
1989年:オークラガーデンホテル上海、竣工。旧建築物はロビー・ラウンジ・多機能的宴会施設及びビジネスセンターとして生まれ変わる。
1990年3月20日:オークラガーデンホテル上海、正式開業。
中国が中華人民共和国となってからは、建物が文化クラブとして使われ、庭はサッカー場、運動場として使われていたそうである。しかし、1959年に毛沢東が上海の滞在場所とするようになると、散策できるようにプロムナードを配し、樹木をいれて庭園の形に整えたということである。なお、庭のドームパビリオンは、屋上にあったというパビリオンに似せて造られた。かつてクラブハウスの屋上には丸屋根のパビリオンが2つ建てられていた。これらは、1949年以降に、取り壊されたとのことである。
東側エントランスホールから登る階段は、とくに当時の流行を鮮明に反映している個所である。手摺りは直接フランス本国から取り寄せたものらしく、金属造型が精緻にできており、クラブハウスにおける美しいアールデコ装飾の例と言えるだろう。また、東側エントランスホールの階段から二階ホールにかけて大きな窓面があるが、ここにはもともとステンドグラスがはめ込まれていたそうである。いろいろ資料を捜したり、当時の建築ガラススクリーンを調べるなどして復旧を試みたが、当時のステンドグラスのデザインは発見できなかった。しかし、恐らく全体として淡い色付きの構成に、大宴会場天井に見られるようないくつかの強い色調のものを加えた幾何学的デザインだったと思われる。
二階ホールを見降ろすようにして、柱の頭部に美女像が肩を並べている。これらのレリーフは、今回の改修まで長期間ベニア板で囲われ、ペンキで塗られ隠されていた。これは文革による破壊から守るためになされたとのこと。二階ホールの照明器具は、鉄板に模様を打ち抜き、ガラスを透かして明かりを演出するものだった。これらは、バンドの建物にも幾つか見られるところから考えると、当時の流行の器具であったようだ。しかし、改良したところで充分な明るさが得られないと思われたので、ウィーンのシャンデリアメーカーに発注し、この建物にふさわしいデザインのものを過去の作例から選び出し、製作させた。壁にはめ込まれていた照明器具は、驚いたことに金色のペンキを塗った木製の器具であった。
かつてボールルーム、舞踏場であった大宴会場の床は、木組で出来ており、中央が楕円形に20センチほど下がっていた。さらに、下げられた床にはスプリングが組み込まれて、しなやかな弾力が踊る人に優しく感じられるように設計されていた。この、ダンスフロアーのスプリング床はいつの日にか、再び優雅なワルツや情熱的なタンゴのリズムが好まれるようになった時には復旧されるように、木組みで固定・保存し、現在は段差をなくしている。大宴会場のもうひとつの大きな魅力は、言うまでもないが、天井の大きなステンドグラスである。ホール中央を覆う楕円形のステンドグラスに向けて、なだらかな曲線を描いているプラスター天井は、見上げる人に、様々なインスピレーションを与えるものだ。
中宴会場、小宴会場は、旧フランスクラブ宴会室の原形を多く保っている。1926年の誕生時には、これらの中小宴会室は、アーチ状の出入口で結ばれていたそうである。後年になって、各室を独立させ、壁をつくった。とくに、化粧の波状のモールディングは、クラブハウスが文化宮として使われた頃、揚子江の波を図案 化して付けられたという。つくづくと眺め入っていると、揚子江の波が建物全体の新バロック風にほどよく似合っており、そのコーディネーションの妙な調和に感心させられる。









外観に美しいアクセントを添えている正面のバルコニーは改修以前に、雨でも散策できるように改造され、欄干部分に壁や窓を設けて室内の一部とされていた。しかし、そのまま保存することは困難と判断し、改造部分を取り払い、原形に戻され たものである。




